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ムショクちゃんのグズグズ日記

ムショクです。グズなので日々感じたこと、思ったこと後日書きます。

ぼくのりりっくのぼうよみとぼくの中2の闇

ぼくりりのライブを観てきました。

想像よりずっと歌が上手で(プロに失礼)驚きました。けっこう、CDが良くてライブ観たら、下手だった、ガッカリだったとかってあるあるなので。ぼくりりはCDだとフラットに聴こえて、生では、その厚みのある声に驚いたわけです。

 

1部、2部と分かれていて、前半はほのぼのゆるやかなMC。現代っ子らしい優しいタッチの口調で曲紹介。後半はMC無しで、曲の前に映像とポエム。

ポエム…ほのぼのしてない。闇が…(最終的に光は射します)

ライブ後、一緒に行った友達が「この感じ、セカオワも同じ感じだった。中2病的な感じが若者に指示されるのかね?」(批判的ではなく分析するように)と、言ってました。

ちょっと前ならRADWIMPSとか、もっと前なら中村一義とか…

いつだって、この感じが必要なんじゃないかな。

高いところから飛び降りてみたい。線路の上を歩きたい。黒魔術、都市伝説、ホラー…子供たちは、死の匂いや闇の世界にちょっとふらっと立ち寄りたくなるものです。興味があるものです。理由はわからないけど、きっと成長の過程で必要なんだろうと思います。そこを越えるとモヤモヤした闇だけがまだついてくる。意味不明な怒りや暴力性が出てくる。悲観的になったり何もかもつまらなくなったりね。

それらとうまく付き合ったり、昇華させるのが、音楽だったりする。

中2病って、大人になればなるほど良くないことのように言われるけど、これがないと、音楽や映画や本に私は夢中にならなかったかもしれません。闇に覆われ廃人となっていたかもしれません。生きてなかったかもしれません。(いまでも生きるの下手なのに)

シュッとしたスタイリッシュな文化?あるいはマッチョな文化?それはそれでいいのかもしれないけど…

 

ルーズなTシャツから見える体は、痩せてるのにどこか丸みがあり、童顔で唄いあげるこの青年は、遠目で見れば中学生にも見える。

あどけないルックスと柔らかい口調も大人びた音楽性と暗闇から生まれたりりっくもどちらもあって、今のぼくりりが存在し、若い人たちや、そーでない人(私)たちを惹きつけるんだなと、勝手に納得。

ぼくよりよっぽど中2です、はい。

人間力

大好きなおじいちゃんが亡くなりました。

と言っても祖父ではなく、前の会社で一緒に働かせていただいた方です。祖父はだいぶ前に他界し、じいちゃんばあちゃん子だった私にとって、おじいちゃんは、“会えるおじいちゃん”的、大切な存在でした。(おじいちゃんばっかでややこしい。ご本人は、孫とは思ってないだろうし…)

いいお歳なので、会社に毎日いるわけじゃないし、半年とか1年後にしか会えないときもあって、そうなるとおじいちゃんロスがハンパないわけです。これは、私だけでなく、出会ったひと、みんなが思う感想。おじいちゃんがいるだけで、笑顔になって、おじいちゃんが何か喋るだけで、涙流して大笑いする次第で、職場にいること忘れます。

大先輩なんですが、若い時のおじいちゃんを知らないし、出会った時からおじいちゃんなので、私はおじいちゃんに甘えられました。私は幼稚園児に戻りケタケタ笑います。

 みんなに慕われるおじいちゃんですが、とくにご馳走するわけでもないし、(ご馳走してくれたり、お菓子やお土産をくれる親切な方達はいます)私は、お仕事を教わることなく、どちらかといえば、こっちがお手伝いすることの方が多いわけで、何かしてもらったわけじゃないのに、なんか好きなんです。毒舌だし、ご飯クチャクチャ音たてて食べるし(おじいちゃんなので)、髪もないし(おじいちゃんなので)…立派な人でも優秀な人でも善良な人でもない。(かもしれませんが)

こういうの人間力というのかな?おおらかとは、ちょっと違って…心がセコくないのです。愛され力ともいうのかな?いつの時代でもどんな環境でも大事なものだなと思います。努力で得られるものなのか、持って生まれた才能なのか、私も愛されるばあちゃんになりたいです。

 

「いなくなるのって、いなくなるがずっと続くこと」(ドラマ『カルテット』)

このセリフがようやくわかってきました。
ふっと戻って来そうなのにいないが続くんだな。

 

 

この中に時間の整理術は書いてありません

日記、気づけば1ヶ月以上経ってました。グズです。グズ過ぎます。さっき、前にメモしてたの投稿してみました。村上春樹の新刊、初日に買ったのにまだ100ページくらいしか読んでないっていう…。時間の使い方がヘタクソです。ぼーっとして髪の毛いじって、枝毛探しなんぞしてると1、2時間あっという間に経過します。博士的なひとに私の頭の中、どうなってるのか調べてほしいです。

と、誰の為にもならないことを公に日記にしてるこの時間、本読めやー!

ドリーミー逃避会議

生きるのしんどいなぁ、と言うと、ちと、大袈裟かもしれませんが、日々の生活辛いわぁってとき、河合隼雄さんの本を読みます。同じ本を繰り返し繰り返し。で、現実逃避したいときは、小説を読みます。(村上春樹とか、ポール・オースターフィッツジェラルド の冬の夢なんてのもいいですね) 深い井戸に降りていって、そこから這い出てくる(貞子みたい)アイテム。なので、多くの本を読みません。ん?と言うことは、私は本好きじゃないのか…好きで読むというより生きる術なのか。アレレ、じゃ、映画は、音楽は、恋は…とか考えるとぞっとします。好きなことって難しい。

ジェンダーレス

ジェンダーレス男子とか女子とか、そう呼ばれるファッションがありますが、ひと昔前は、ユニセックスなんてのがありましたね。カルバン・クラインみたいな感じ(最近、ラフ・シモンズがチーフクリエーティブオフィサーに就任。ウォーホル・ミュージアムで撮影された最新ビジュアルなんかが、まぁオシャレです)Tシャツとジーンズ、スニーカー。うちのオカンもカッコよく言えばユニセックスです。日々、9割トレーナー、ジーンズです。決してカルバン・クラインの広告には起用されませんが。

そして、もう別枠。服装云々、オシャレ云々の話でなく、性別がわからない人たち。オジサンなのかオバサンなのか…本人の意思とは関係なく。子供の頃、近所のおじいちゃんをおばあちゃんだと思ってました。(あれ、おばあちゃんじゃなくて、おじいちゃんだったのかな)性別を越えるというより、性を抜き取られたというか…色気の有無なのかな?ジェンダーレスもユニセックスも色気が感じられます。(もしかしたら、個人的な意見かもしれませんが)ま、うちのオカンも色気ないけど、身長の低さでオバサンを維持しております。なんて、悪口言ってたら、自分も幼少期男の子に間違えられてたこと思い出しました。

ペンケースがビールくさい。

ペンケースがビールくさいです。ペンが濡れてる。ビールでしょうね。

カバンの中には、ペンケース、手帳、財布など入ってます。ペンケースだけが湿っています。こわいですね、酔っ払いのすることは。ペンケースにビールでも注いだんでしょうか…くわばらくわばら

「この世界の片隅に 」湯を沸かすほどの熱さを

年始一発目の映画「この世界の片隅に

朝の情報番組で、「湯を沸かすほどの熱い愛」や「太陽を掴め」など紹介されてて、そっちみようかと思ってたのですが、レビューでネタバレみてしまいやめました。(タイトルにネタバレって書いてないとうっかり読んじゃってね)

で、のんちゃん。

戦争、原爆とか新年早々、重いやつな…でもね、みてよかったです。

まあ現実とファンタジーのバランスのよいこと。主人公すずのイマジネーションが豊かに鮮明に表現されています。アニメーションの強さですね。コトリンゴも良し。

舞台は戦時中だけど、アイデンティティの話。

印象的だったのは、すずと、嫁いだ先の義理の姉・径子との対話、対比。径子は、自由恋愛で仕事もバリバリこなす自分で人生を選んできた女性。一方、すずは、幼い頃からぼーっとした性格で、見知らぬ男性に見初められ、田舎に嫁ぎ、まわりに流れるように人生を歩んできた女性。こう書くと、一見、自分がないように見えますが…

すずは、絵を描くことで世の中と調和してきて、あることがきっかけで、それが失われるのですが、だからって、すず自身(アイデンティティ)が失われるわけではない。戦争が終わってしまい、すずが叫んだ姿からすずという小さな女性の中にある大きな熱いものが垣間見れました。

今の私たちの考えるアイデンティティって、自分らしく好きなことをするとか、自分らしさを求め行動していくこと(径子のような生き方)を想像するけど、すずの生き方(戦時中の日々の生活)を通してみると、生きてきた生活してきた結果、自分らしさ=アイデンティティがそこに残るんだなと思い知らされました。

"私らしく輝く"みたいなキャッチフレーズにうんざりすることあるでしょ?私はあります。

とわ言え、今を無理して自分を騙し騙し生きてくとハゲもできてしまうので、ほどほどに自分のペースで。

 

映画とかアートとかクラウドファンディングでどんどん自由でパワーのある作品が作られればいいな。